彼らのアライバルは1994年8月9日火曜日。三沢基地の一般公開とサンダーバーズのショーは翌10日水曜日に設定されていた。なんと平日での異例の開催は、全てサンダーバーズの日程に合わせて進められた。↑は、8月9日三沢基地に姿を現した到着の模様、エプロンでは明日展示される機体の受け入れ準備が進んでいた。
F-16's Page
1994’s Thunderbirds-Page
1982年1月の大事故から立ち直り、久々に使用機を練習機から戦闘機であるF-16Aに換えて演技するサンダーバーズの姿は、1982年末には早くもネリス空軍基地で目撃された。チームリーダージム・レイサム少佐(カンサス州出身、ベトナム戦POW、サンダーバーズT-38時代の3番機)の指揮の元、1993年のショーシーズンに備えた訓練が開始されていたのである。こうしたサンダーバーズの情報は、日本の航空ファンの元にも航空専門誌を通じて情報が逐一入ってきており、時々雑誌やテレビの特番でも海軍のブルーエンジェルスと共に紹介される事が増えてきた。特に海外派遣では、1987年に当時蜜月関係にあった中国にサンダーバーズは派遣され北京郊外大興区の南苑空軍基地で軍・政府関係者に見せた演技は、Mig-21のコピーが漸く配備されてきた段階の中共空軍に大きなインパクトを与えた事案だったそうで、技術的格差を見せつけられた軍当局はその後の空軍力の整備に拍車をかけたと言われる。この時の模様も日本の雑誌に紹介され、何故に日本より中国に先に行くのよ!と内心気分が悪かったのを覚えている。(実はこのツアー時嘉手納基地で非公開の演技をしていたそうである)
 サンダーバーズのF-16A型は約10年使われ、1992年にはF-16AのBlock-15からF-16C型Block-32に機種更新ししている。そして更新されて2年後に漸くアジア・パシフィック方面へのツアーが決まり、愈々日本へ来る事になった。
 
↑ アラスカ州のイールソン空軍基地から7000Kmの距離を3機のタンカーと2機の輸送機(C-141B)と共に飛んでいた。三沢基地には、飛来したF-16C以外に同行したKC-10A"Thunderbirds-16"とC-141B"Thunderbirds-14"の姿があった。
5機のフォーメ―ションで海側R/W10方向から進入し上空をパスし、その後R/W28方向から折り返して上空で1機1機散開しながら滑走路に降り立った。ソロの1機は、自衛隊側のエプロンの後方から低空でサプライズパスをして、エプロンにいたギャラリーの度肝を抜いた。
↑ リーダーのステーブ・アンダーセン中佐機”Thunderbirds-1”と”Thunderbirds-2”これら機体は戦時に直ぐに実戦部隊に戻す事が出来るように、必要最小限度の改造しか受けてておらず、20mmバルカン砲と弾薬庫の設置部分が発煙発生装置に入換えられている程度と聞く。
この1994年のツアーは、三沢基地を皮切りに韓国、タイ、シンガポール、マレーシア、グアム、ハワイと言う環パシフィックスケールの大きな海外ツアーだった。
↑ 5番機は、機番が逆さに書かれている事から”ソロ”であることが分る機体で、ピーター・マッカフリー大尉が操縦。
私はこのタキシングを撮って、明日から仕事の為東京に戻ることに、悪友君たちは私とバトンタッチで三沢基地に展開、仕事をさぼって翌日の航空ショー参加だった。うらやまし~・・。
↓ フニュ君たちが撮影した素晴らしいTBの写真を掲載させていただき、このページを締めくくろう。
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